誰の言葉を傾聴しますか?

先日、信頼する先輩にひたすら私の話を聴いていただく、という時間を過ごすことができました。

話している間、もしかすると付き合わせてしまっている、自分勝手かもしれない、という後ろめたさを感じてはいたのですが、その先輩は1つも嫌な顔していませんでした。

むしろ朗らかに、私が話し出すための沈黙もたっぷりと確保してくれて、私の話を聞き入れてくれました。滔々と話をして、気付けば3,4時間ほど経っていました。

その結果、まるで点と点が結びつくようなアイデアの発展もありましたし、感情的にずいぶん浄化されました。次に取るべきアクションや、そのためのエネルギーも、湧き上がってきているような感覚があります。

思えば、このところ、私は人の話を聴くことばかりだったかもしれません。

そんな言い方をしつつ、それは、私がしたくてしていることです。人の内面や関係性の変化に関わることで、大切な想いを持つ人のために貢献したいし、社会に価値を生みたいと思ってるので、話を聴くのは、とても大切な実践の1つなのです。

しかし、今回を振り返ってから、やっと自覚したことがあります。

私は、知らず知らずのうちに、「自分の話をしたい」という自分の声を、無理に抑えつけていました。ちょっと間抜けっぽいのですが、聴くことを重視し過ぎて、話すべき時に話せてなかったです。

そうするとどうなるかというと、「なんで話させてくれないの!」という、自分の部分の声が、ノイズとなって内側から出てくるのですよね。そんな状態で、人の話を聴いても、ノイズ混じりになるのです。

きちんと人の話を傾聴する存在でありたいという願いに囚われ、結果的に逆行していたのは皮肉なことです。

「人の話を傾聴すること」が大事だと言われて久しいように思います。それを実践されている方が、他者や自分個人を超えた目的に貢献しようとする、素敵な人だということを、私はたぶん知っています。

だからこそ、「自分の話も傾聴」してあげてください。  

ぜひ、ご自分の話を聴いてあげてください。

そして、自分以外の誰か、胸を貸してくれる人に、それを包み隠さず話してください。

相手が胸を貸してくれることを信じて。(これ大事)

それは、あなたの聴覚をクリアにし、他者の、自己の、そして、その間にある「声」を、そのままに、受け取ることをより可能にさせてくれるのではないでしょうか。

まだ語られていない物語は何ですか

ご覧いただきありがとうございます。反町キヲイチロウのブログです。群馬ローカルのママチャリで行ける範囲で、参加型の場づくりを練習しています。

0コメント

  • 1000 / 1000