Art of Harvesting講座に行ってきた②

前回の記事では、講座に参加して学んできたことについて、自分なりにまとめてみました。
今回は、そこからスピンオフして、感想を書いてみます。私が私に対して思ったことなので、お読みになる方にとっては、あまり参考にはならないかもしれません。

さて、感想ですが、一言で申し上げますと、相当に凹みました。 
講座の途中からなんだか言葉も出てこず、どんよりしてしまいました。理由はいくつかあります。

・これまでの場で足りなかったことに気付いた

ハーベスティングに対する理解のなさのために、これまでご一緒してくださった書き手の方々に対して、失礼なことをしていたし、場の力を引き出せていなかったことを自覚しました。「ああ、あの時知っていれば」と思い出されることもあって、それに対する反省の念に苛まれています。そう思ったことは思い起こされた方には、今更だけれどごめんなさいと伝えたいし、これからの実践で改善していきたいです。

・自分のナイーブさに気付いた

ナイーブっていうとなんかキレイっぽいですけど、要は、ひ弱ということです。講座の中で、「描こうとするから目がひらく」という言葉がありました。自分なりにグラフィックでアウトプットしようとするから、その人の振る舞いや言葉からより多くのデータを集めるようと五感が鋭くなるという意味だと理解しました。
それが私には効果テキメンだったようで、全てのチャンネルが全開になってしまい、あまりにも多くのデータが奔流してきた結果、脳がフリーズしてしまいました。その後、聞きたくないのに色々なことが聴こえてしまい、ただでさえうるさい東京の人混みは暴力的にうるさく、体調が悪くなってしまいました。
どうも情報を受け取るアンテナの感度は、コントロールできるように練習を要するようです。

あるいは、もう開き直って、「もう今私の頭はフリーズしてるよ~」と、場に対して自分を晒してもいいなと思いました。そういう感じやすい人たちに聴こえてしまう人々の鼓動や、見えてしまう景色の代弁者となる価値は、あると思って。

・自分にしっくり来るハーベスティングの手段を持っていないことに気付いた

私がこれまでの実践の中で、もどかしく感じてきたことは、私がしっくりくるハーベスティングができないことに由来することが多いことに気づきました。大切な想いを言葉にした瞬間に、なんだか粋でないというか、伝えたいニュアンスを失ってしまったと感じることが多くあります。あるいは、受け取った想いを、「それわかる、わかるよ!」と伝えたいのに、うまく伝えられない。なんだか、言葉にすると薄っぺらくウソっぽい。それは、「自分が理解して人に伝えたいと思っていることに対して、伝えるための手段が脆弱である」ということだと思います。今回講義でも、「ハーベスティングの形態は、グラフィックでもいいし、音楽でも、ダンスでも、ラップでもいい。もちろん言葉でも。」と言われましたが、その時その場できちんと機能する、多様なツールを持っていたいなと思いました。

最後に、こうして振り返ってみると、自分が落ち込む理由がよりクリアになったことで、実はなんだか希望や次の一手が見えてきたような気がしています。
ハーベスティングの考え方を実践してみることで、自分自身や、願わくば誰かの想いを形にすることをお手伝いするためにできることは、少なくないと思うのです。

習って私が描いたもの。このちょっと困った感じがなんだか気に入ってます。

まだ語られていない物語は何ですか

ご覧いただきありがとうございます。反町キヲイチロウのブログです。群馬ローカルのママチャリで行ける範囲で、参加型の場づくりを練習しています。

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