アーティストがアートをつくるのと、リンゴ屋がリンゴをつくるのはどう違う?(中之条ビエンナーレ2107をやってるまちで毎日仕事したら)
私が勤務するまちは、群馬県中之条町といいまして、2年に一回「中之条ビエンナーレ」なる芸術祭をやっています。
ほぼ毎日その作品、その場に触れる中で、私なりに「あ、これ大切」と思ったことを書きます。
一言でいうと「作品を観て終わらないこと」なのですが、退屈な言葉なので、問いの形にします。
目の前にある作品を通じて、いかに単なる事実としての風景や出来事から、自分なりに意味のある内的体験を支える「価値のものさし」を獲得するか?
そのものさしをつかって、いかに自分の日常生活の中に芸術性ないし価値を見出すか?
自分の中に潜り、探し物をするのだけれど、そのための材料がないと思えば、また目の前の作品の中に戻ればいい。
そのサイクルの中で向き合うのは
中之条ビエンナーレとは、誰のための、何なのだろうか?
これらの答えの焦点が、自分の体内の中心に行けば行くほど、自己が縁取る自己に迫って行くのだけれど、それは「中之条の普遍」とつながることでもあるように思えています。
あなたも私も、私たちも、そこに"出展"できないだろうか?
リンゴ狩りしてきたよ
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