あなたに必要な「場づくり」はどこからはじめますか
世の中には「場」なるものが、そうとう足りていないようで、最近、「場づくり」という言葉を以前より多く見聞きします。商店街や古民家をかっこよくしたり、学びのためのワークショップをやったりと、なんだか、私の身の回りで流行っているように感じています。
そんな私もその練習生のひとりです。みなの参加によって大切な変化を起こそうとする「場づくり」活動をたいへん意義のあるものだと考えています。
でも、なんだかもったいないなと思うことが、たまにあります。これは大いに自戒を込めているのですが、悩ましいのは
一生懸命「場づくり」をしても、価値のある変化が起こらない時です。
足りないのは、優れた技術、魅力的なコンテンツ、マーケティングや収支計画などといったもの以前の話で、それは「関係性としての場づくり」や「心の中の場づくり」が足りない時かもしれません。
特に「心の中の場づくり」が足りていないのではないか、という話をします。
どういうことかと言うと、私によると、「場」とは3つのところにあると思うんです。イメージしやすい順番でいくとこうです。
①物理的なスペースとしての場 ; ハード
②関係性としての場 ; ソフト、私とあなた
③心理的なスペースとしての場 ; ハート、私と私
②のイメージは湧くでしょうか。「場が盛り上がる」「場違いな格好」「場の流れ」の「場」です。人と人の間にあるスペースだから、関係性です。打ち合わせやワークショップの進行をする、参加するのは、この「場づくり」ですね。
私は、価値のある変化を生むための場づくりの順番は、③→②→①だと思っています。
まずは③自分自身の中に「心の場づくり」をすること。
素直な自分、変わって行く自分を受け入れるスペースを自分の中につくるということです。それは、自由に描くことを許された真っ白なキャンバス、あるいは、未知のものをそのままに受け入れる器のようなものです。
これができると、まず、人の話を素直に聴くことができるようになります。ほかにも、たとえば、こんなふるまいが起きます。
- 上っ面だけのポジティブな「ナイスな話」をやめて、本音の意見を言う
- 予測できる範囲を超えた思考から一歩踏み出す (どうぜ〜だろう、ではなく。また誘導的な展開ではなく)
- 結論が見えない状態の中でも踏みとどまる
この心の中のスペースづくりは、練習しないとなかなかできません。「場づくり」を結構されているであろう方でも、できていなさそうに見える時がありますし、私のように官僚型の組織で働いているサラリーマンは、よく“教育“されているのでなおさらです。
内面の場づくりができていない時、よくある原因として、次のようなものに心を乗っ取られているケースがあります。
- 自分のありのまま以上に、影響力を高く、かっこよく自分を見せたいという虚栄心
- 多くは過去の成功体験と結びついたプライド、立場、体裁
- ”ふつう"ならこうすべきという規範意識
- 「私はこう考えるから、相手もこう思うはず」という勝手な思い込み (自分の描く幸せが、相手にとっても幸せだと思っている)
- 自分は相手よりも多くを知り得ているという「無知を知らない」態度 (特に年齢が上の者から下の者へ起こりがち。相手を変えてあげる、やってあげる、教えてやろう、という上から目線を伴う)
- 場づくりをしてきた自分に向けた「新しいエリート意識」 (この過剰な自意識は、主に内部実践者によって、自分たちは“変態”、”マイノリティ”、”はぐれもの“等という、一見、自己卑下のような言葉で、自らの特別さを確認しあうものとして語られることが多い)
こういった「思考のつまりもの」を手放して、はじめて、心の余白ができます。(ちなみに、固まった思考を手放すために必要なのは、その裏にある感情を味わうことだと思うのですが、それは今度考えをまとめます。)
まず内側に場をつくれたら、その後、大切な変化を起こすためにもし本当に必要ならば、その「場」の中へと他者を招待していきます。
本当に必要ならば、というのは、内側の場づくりがないがために、外側に場を求めてしまうことがあるからです。それは常に悪ということではありません。しかし、少なくとも「自分と向き合ってみよう」という態度なしに、外側にだけ解決策を求める人は、次第に他者・外部へ依存していきます。いわゆるセミナージプシーや、”ネットワーク”づくりが目的になっている人がこれにあたります。
このため、人を招待して場をひらいた後も、常に自分の内部にスペースを持ちつづける必要があります。そうしないと、招かれた人も居心地が悪いでしょう。まさしく行き「場」のない思いになります。
私の場合は、個人的な心配事だったり、体調が悪かったりして、自分の中で、十分に「心の場づくり」ができないときは、そのことを皆に開示します。それで、「今日はあなたの(みんなの)心の場づくりに、頼りたいよ。一緒に場を支えてほしいよ」と助けを求めます。
その開示は、自分の中の心の場づくりができているときも有効です。それを自分のスキルや練習が足りない言い訳として使わなければ、ですが。なぜなら、言葉を変えれば、誰かと「場」をつくるとは、自分の中にあるスペースを、あけっぴろげに共有することだからです。ともに想像し、創造をするための余地をつなぎあわせるということです。そうすると、そこにはより価値のある変化を受け容れる器=関係性が現れます。
この「場」なくしては、物理的な「場」をつくろうと、意味のある「場」は狭くなり、やればやるほど価値のある変化から遠ざかっていきます。いくら皆で大切な話をしようとしても、表層的で借り物の言葉が飛び交うだけで、一方で、その間も貴重な資源は失われているからです。
先ほど「依存」と言った、心に余裕がない人って、ムダに偉そうだったり、ムダに活動的だったりするじゃないですか。自分の内側とのやりとりをしていないから、やたら外にむけて影響力を持とうとしますよね。物理的な場づくりに頼って、ゴージャスでオシャレなだけの箱モノをつくるのも、それと同じことです。
以上、私の考え方を、まとめるとこうです。
- どんなに私たちが、①魅力的な空間づくりをしようと、②関係性づくりがなくては、環境や社会に価値ある変化を起こすことはできない。
- どんなに私たちが、②関係性づくりをしようと、③自分自身が変化を受け容れられる状態になければ、同じこと。
まずは、自分に一番近い「場」、つまり、自分の中の場づくりの練習から始めてはどうでしょうか。
それが難しかったら、そのことを人に相談したっていいのですから(これ大切)。
そうすれば、私たちは「やってもやっても変化が起きない、心が満たされない、無限の場づくり地獄」から抜け出ていけるのではないかと思います。
…
みなさんにとって、価値ある変化を起こす場づくりのために大切なことは、なんでしょうか?
■今日の一曲
…
余談ですが、私は「場づくり」なんて言葉が、あまり一生懸命に語られないような社会にいたいな、と思っています。もしみんながそれぞれ自分にとって大切で必要な「場」を持つことや、つくることができれば、あえてばーばーとしゃべる必要なんてないと思うからです。すでに家がある人は「家欲しいなー」って言わないじゃないですか。だからこそ、今は頑張って「いい場づくり」を問いたいし、試行錯誤したいです。
0コメント