「どのように自分を拡張するか?」ーやさしい社会をつくる実践を生み出すための問い
私は一部には障害と言われる性質を持っています。どうやら特異的に共感性が高く、普通の人よりも人の意図や感情が望むと望まざるとに関わらず、流入してきてしまいます。「人が痛いと、私も痛い」のです。小さな頃から、この特性に苦しむことが多かったです。
これは大変に恥ずかしい話なのですが、実は、最近まで、ほんとうは皆も、濃淡はあれど、自分と同じような共感性を持っていると思い込んでいました。でも、どうやらそうではないと気付きました。今思えば当たり前ですが思い込みとは恐ろしいものです。
私には、自分を救うために、大きく分けて二つの選択肢があります。
・自分の感覚を殺すか
・社会を優しいものにするか
鎮痛剤やお酒でなんとかしようと前者をしたこともありますが、それでは死んだほうが楽かもしれないということに気づき、今は後者をやってみています。
私が善人だからではありません。そこに正義はありません。誰かのためではありません。私が、自分の心の平安を持ちたいだけの、利己的なことです。
Art of hosting Nagaraでの呼びかけもそうです。
私は、どうしたら人はやさしくなるのか。探ってきました。
「人がやさしくなるためのツール」があればいいのにと。
それは言葉を変えれば「自分を拡張するためのツール」なのかもしれません。
「私」ではなく「自分」。自らの分(self-space)です。いわゆる西洋的な哲学や言語では解説や表現、あるいは、理解そのものが難しいかもしれません。
この記事に触発されました。
>「1億円あげます。代わりに一生家族とは会えません」と言われたらどうしますか? 1億円受け取りますか?
>受け取らないという人にとっては、家族という関係性には1億円以上の価値があるということです。こうした関係性のことを社会関係資本と呼びます。ただし、あらゆる関係性に価値があるわけではない。価値があるのはその人が共感している関係性だけです。
>「1億円もらっても家族を売らない」そこまで来るとこれはもう、自他不分離の状態です。家族=自分。帰属というより自分の拡張です。このように自分を拡張すると幸福度は増します。なぜなら拡張した先の人の幸せが自分の幸せになるからです。
>けれどもこれには悪い面もあります。家族=自分ということは、家族が傷つけば自分も傷つくことを意味します。日本=自分なら、日本が傷つけば自分も傷つく。地球=自分なら、地球が傷つけば自分も傷つく・・・。自分を拡張している人ほど傷つきやすくもあるんです。
>だからこそ、「自分とは何か」には自覚的である必要がある。
…
今、「自分」とは、どの範囲のことを意味しているか?
どうすればその範囲を拡張したくなるか?
これらの問いを皆で探求して、あり方・実践ベースに落とし込むことが、健全で持続可能な社会や組織づくりをすることではないか、と思えてきました。
そのための実務的な手段が「対話」あるいはアートオブホスティングの周辺にある叡智なのかもしれません。
———-以下メモ書き———
■同感は社会の分断を生み出す
私はこういう風に嘆きつづけてきました。
「自己責任」「自分の会社、地域、国さえよければいい」。同じ星に生きるたちの意識は、なぜここまで分断されてしまったのか。
ブロックチェーンによって、信用が新自由主義・資本主義の中に取り込まれ、「富の格差」ならぬ「信用の格差」が生まれたのではないか、と私は考えています。その構造は、これまでと相変わらず、社会の公平性と個人の尊厳を脅かしています。
「いかに同感を生み出すか?」という問いから生まれてきた社会技術や制度、実践が、その構造を支えてきました。それは同じもののフリをしたものを「ウチ」と定義し、それ以外を「ソト」と定義します。すなわち、分断を生み出してきました。
分断とは他人事のことです。それは多くのにやさしくないこと」を生み出してきました。
本当の意味※での「自分ごとにする」というのは、同感から共感、さらに、「より集合的な自分」への意識のシフトのことなのかもしれません。
(※「自分ごとにしよう」というのは多くの場面で、「同感しよう」や「本当は他人のことだけれど自分のことのようにしよう」という意味で使われてきたと思っています)
■その他
・「組織化」と言うのは、「元来は個々である」という思い込みが下に敷かれているのかもしれない。もし、私たちが元来は「ひとつながりの命」あって、それが切り分けられただけだとしたら。「つながりを取り戻す」というほうがいいかもしれません。
・U理論では我(ego)とエコ(eco)と呼ばれ、後者は、「本来の自分(オーセンティックセルフ)」と呼ばれていました。このあり方から発せられる言葉は、共振するかのように他の人に響くといわれています。そのあり方から、行動を起こすことで生まれるものがイノベーションであると。
・「自分のホストする」と言うのは、自分という範疇の外にある我(エゴ)に共感するための実践とも言えるかもしれません。
・共感は、同感ではありません。共感は違いを共存させて、多様化と統合を行い、命を続かせる。同感は同質化する。心臓がいくら大切だからと言って、全身が心臓になったら命は止まります。
・西田幾多郎は、愛のことを「自他合一」と呼んだ。私は「やさしくなる」と呼ぶのかも。
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