命は反響する(2019.6.9 コンテナをホストしホールドする@南山大学 メモ書き)

アートオブホスティング長柄につづいて、クリス・ケイトリンの「ジャパンツアー(?)」に同行しています。伊豆の踊り子、茶道、道教の話をしながらクリスとケイトリンをアテンドし、一旦お見送りしました。「俺らのジャパンツアーはまだ終わらないぜ」と笑う。またすぐ東京でお会いします。
今回は、2019.6.9 コンテナをホストしホールドする@南山大学で学んだことの質感のメモ書きです。

ほんとうはもっと丁寧に書きたいけれど、時間ない…。

ただ黙ってそばにいるということ。
ただ今ここにいること
そのものを深く味わうということ。

私たちが極めて繊細に互いの存在感(presence)を察知できれば、そこに会話、仕事、目的、ストーリーがなくとも、そこに意味は流れ始める。

その流れがどこから来るのかに集中するということでつかんだ感覚は、あまりに大きな未知でした。「それ」が私たち人間に既に十分に備わっているということに身震いがした時間があります。

クリスは「私たちは人と人のつながりの中にある、ある種の神秘的なものを恐れなくていい」と言いました。

「ああ、いのちのことだ」とわたしは思いました。

「それ」は、いのちの性質なのかもしれません。すべての命は音叉のように響きあうという性質を持っているのではないか。それが、どれだけ共感性や、わたしの言うところの「やさしさ」として発露しているかは、人と環境によって違うのだけれど。

こんな話をしました。
き「あのワークで私の内側から来た感覚は、わたしひとりの心身という器で受け止めるには、美しすぎるとおもう。」
ク「じゃどうするかね(what’s your plan?)」
き「みんなにギブることにするよ」
ク「まちがいない。そうやってギフトで命はずっとつながってきたんだ」

雲を遠くから見てみる
近づくほどに見えなくなる
手にとれない、けれどある
雨は雲の中のどこから来るの

詩的であることは、実用的じゃないってことじゃないんだぜ

まだ語られていない物語は何ですか

ご覧いただきありがとうございます。反町キヲイチロウのブログです。群馬ローカルのママチャリで行ける範囲で、参加型の場づくりを練習しています。

0コメント

  • 1000 / 1000