「皆で器になる」とは (「これからはストーリーで、リーダーシップを発揮する」ふりかえり④)

この記事は前回からの続きです。
 
私は過去に「コレクティブストーリーハーベスティング」という手法を使うことに一度チャレンジし、スベり倒しました。その原因を「私ひとりのアートで、場をつくり、支えようとしていた」からだと私は考えました。

前回はその「アート」について考えたので、次はこれを考えます。

■「場をつくり、支える」とは何か

「場をつくり、支える」は、「場をホールドする」という言葉で、いろいろなファシリテーション入門書等に書かれています。 

これは、対話や参加によって集合知と手を届かせるために重要となる「アート」ですが、これこそ複数人で、体験しない限りは、特に理解しがたいもののひとつかもしれません。私はそうでした。

今回講座に参加して、しっくりきた表現はこうです。

「皆で器になる」


ホールドするという言葉から、「私の腕で、抱きかかえる」みたいなイメージを持っていたんですが、それは、私には難しかったみたいです。
自分の心身の全体を使って、より大きなものの一部になる、という感じです。
そして、一人でなんとかできることではないことがわかりました。

そのプロセスを敢えて、言葉にするとすれば、こんな感じです。

①参加者ひとりひとりが、ありのままでいる。剥き出しの状態の自分との関係を維持する。それが変容に向けた心のスペースになる(自らをホストする)

②人のスペースを信じて、身を託す(ホストされる)

③他者のそれを迎え入れる(他者をホストする)

④各人のスペースがつながったもの(=場、器)に現れる「ひとつの生きものとしての私たち」に息づかい、鼓動に耳を澄ませる(共に創る)

そこでは、集合知や新たなストーリーは「つくる」というよりは「迎え入れる」ものだと思いました。それらは、その「ひとつのいきものとしての私たち」の生理現象として「立ち現れてくる」ものだと感じたからです。

ちなみに、この4つの実践は、循環関係、厳密には、スパイラルアップしていく関係にあります。「四相の実践」と言われるアートオブホスティングの基本的な考え方のひとつです。

これは、「個人の変化が、組織や社会の変化を生むような関係をつくるために、私(たち)はどうあるべきか」という疑問に答えるための導光です。

必要な変化を起こすための、内的な実践でもあり、組織としての実践でもあります。つまり、さまざまなスケールの中で妥当性を持った、フラクタル(部分と全体が自己相似的)になっていて、美しい考え方だと私は思います。

よし(←勝手に良しとします)

これで、私の輝かしい失敗の原因である「私ひとりのアートで、場をつくり、支えようとしていた」ということが、少しは説明可能になった気がします。

そして再びつづく


まだ語られていない物語は何ですか

ご覧いただきありがとうございます。反町キヲイチロウのブログです。群馬ローカルのママチャリで行ける範囲で、参加型の場づくりを練習しています。

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