足るを知る原理主義?
乗りたいのと逆方向の電車に乗りました。
とんぼ返りのため駅のホームで待ってます。さむい。
これを何かの啓示と考え、、
最近、自然派ワインを飲みながら聴いた印象深い話をメモする時間にします。
…
大切なのは、足りること。
大きいこと、多いこと、早いことではない。
200円で食物工場でコストを抑えてつくられた環境負荷のたかい輸入作物を5つ食べること、
1000円で自然栽培で顔が見える近所の人が手づくりしたものを1つ食べること、
どちらかが、「足りる」のか。
文脈にもよるけれど、多くの場合で、後者のような立場に共感をしやすい人がいる。感度の高い、若い人たちは特に。
持続可能性、豊かさ、自然、循環、共有とか、そういう価値観を好み、マスな消費主義には異を唱える。
それは、1つの立場で、俺もとっても共感するけれど、
「自然派のみでないといけない」と主張してしまったら、それは原理主義。
それは、もったいないかも。自分のものさしの押し付けによる排除的なふるまいは、ブーメランのように返ってきて、心の豊かさを小さくする原因になってしまう気がする。
マクドナルドを5つ食べたいときもある笑
相手の発言内容よりも人間性への好奇心を持った、対話的な態度を忘れないようにしよう。自戒を込めて。
わたしの「足るを知る」は、なにが足ることを知ることなのかな?
わたしは、なにをもって、「足りた」とするのだろう?
答えは人さまざま。素直で人間らしい欲求と、寛容の精神、多様な選択の自由にリスペクトを。
最近、出会ったすてきな自然派ワインたち…
0コメント