仕事は「義務と権利」か、「責任と自由」か。

電車をのり違えたので、開き直って一筆。

昨日は、大切な仲間がやってる読書コミュニティに参加しました。本当に楽しかった📖🍻

結果、人生で最もハードコアな「勤労感謝の日」になりました笑 

俺的ハイライトの話は、、

仕事を「義務と権利」、「責任と自由」、どちらの関係の中で捉えるか。


前者を支える思想のひとつの起源が、プロテスタンティズムの職業召命観かもしれない。 その中では、人々は仕事を、したいからするんじゃなくて、しなくてはならないからする。豊かな生活を送るためではなく、あくまで神の意志を実現する義務。そうすると、自身の救済の確認をできる権利が生まれる。(救済の約束はされない、、)。

また、蓄財を罪とするカトリックに対して、勤労の結果として富を蓄財してもよいプロテスタントの思想は、その後、利潤を目的とする資本主義につながっていく。新大陸(つまりアメリカ)に行く時に、プロテスタントの「節約」というハートを持っていき忘れちゃったのかな。

こういった勤勉と蓄財の思想が、労働観の転換を支える土台となったことは、イメージがつきやすい。

農業や手づくり工業など必要な賃金を得ると仕事をやめてしまう前近代的労働観
⬇︎
人間サイズの本来の欲求以上の、生産と消費、所有と蓄財を支える工場制工業的な「同じものをたくさん、早くつくる」ための近代的労働観

今回は、その上に、皆さんが持参した本のテーマが乗ってくる。ブラック企業や戦争、つまり、仕事におけるアイデンティティの喪失や、人間サイズを超えた消費主義を支える機構のお話。

さらに、その部品を作るシステムにも関心が及ぶ。つまり、“教育”。「皆が同じ制服を着て、同じ時間に仕事を始めなくてはならない」という、ムチ打ちと評価という、ガマン競争を奨励するフォアグラ型教育、個性を抑圧する金太郎飴式の教育の、合理性が見えてくる。
全体性が先にあり、その枠の中に個性が入るイメージ。これらが、地続きのお話なのだと感じることができました。

一方で、後者の「自由と責任」は、全体性よりさきに個性がある感じ。お天道さまのリズムで生きる、農業や手仕事的な感じがするし、仏教における「足るを知る」思想との親和性が高い感じがする。
たとえば、週に2日自分と家族、近所のコミュニティに必要な量だけの魚をとって、あとの5日は怠けて、家族や大切な人と大切な時間を過ごす。手仕事による経済的な自立をしているから、責任を果たした分は、自由なのね。

けど、自分はあまりそちら側のリテラシーがないことに気づく。検索してもビシッとヒットしてこない。この事実が、自分が受けてきた教育や、出回っている情報が特定のフィルターを通されている証拠になっているのかもしれない。もっとこっちを、知りたいなあ!

ここまで読んでくれた奇特な方で、今の自分が読みたそうな本や資料をご存知の方いれば、教えて欲しいな。

自分はブルーカラー的な実践主義者なので、はっきり言って本は苦手なんですが、とてもいま本に興味が湧いてます。
自分が知らないうちに色眼鏡をかけて生きてるのは知ってるんだけど、その色眼鏡はどこから来たのか知らないから。

おもしろいネット記事も発見。


なんとちなみに、11/30には「仕事の中での自己実現」をテーマとした、ご近所さん向けの対話の場をひらきます。
プロテスタントの思想を支えたカルヴァンさんが生きたのが450年前でしょ?そこを水源に、随分と資本主義は大河のように大きくなり、津波となって街を飲み込むまでになっているのかもしれないですね。
まったく個人的な意見をですが、かつては合理的な考えであろうと、これからの時代には不幸をつくってしまうような考え方はアンラーニングして、各人のこころに新たな考え方を迎え入れるための真っ白なスペースをつくるような、お話し合いになったらおもしろいなーと思っています。

好奇心がグルーヴする関係で生きていられれば、人生は面白いね。

まだ語られていない物語は何ですか

ご覧いただきありがとうございます。反町キヲイチロウのブログです。群馬ローカルのママチャリで行ける範囲で、参加型の場づくりを練習しています。

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