物語と詩はいのちをつくる
人々が物語や詩を共に紡ぐというような行いに対して、自分が果てしない魅力を感じるのは、それが複雑系ー命を紡ぐ行為だからなのだと、理解してきました。
共に紡ぐというのは、私と他者であり、また私と私という内的な対話でもあります。
それは相互に作用し、でたらめな軌道ー混沌を描き、その結果は予測はできません。結果として全体に現れたものは、原因の部分たる要素に還元できません。小さなゆらぎが、全く異なる未来を生みます。
ストーリーや詩は、本や博物館の中に閉じ込められてコントロールされると、その鼓動が途絶えます。ひろく語られ、混沌と秩序を行ったり来たり、絶え間なく移ろいゆくからこそ、そこに命が芽生えます。
未来へ続かせていきたいなら、ひらく。つまり、はいるものも、出るものがあるようにする。
外乱が加えられても、あるべき型を取り戻す力を身につけるなら、命の複雑さが生む混沌、その中にある秩序を取り戻す力ー調整と適応の力を使う。
“詩人たちが流れゆくもの、はかないものを軽やかな感覚で追い求めていったとすれば、自然研究者たちは鋭利なメスで刻んで、各部分の内部構造や連関を調べようとした。かれらの手にかかると、あの親しげな自然は死んでしまい、そこにはただびくびくと痙攣する屍しか残らなかった”
(ノヴァーリス/サイスの弟子たち)
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