なげきは、変わろうとしている時に出てくる可能性まみれの言葉
「がっかり」は期待しているときにだけ出てくる希望まみれの言葉(枡野浩一)
人前で、悲しいことを悲しいといったり、辛いことをつらいっていうのって、そんなダメですかね。
自分なりの代替案や解決策がないと、問題を提起しては、いけないのですかね。
私は「未来が見えない時こそ、嘆いてみることが、突破口になるのではないか」という持論があるので、それについて書いてみました。
「言ってもしょうがないかどうか」を言う前に決めつけんなよお。
「我慢しよう」と言いあう私たち
今の日本社会・組織の中には、危険な思い込みがあると感じています。それは、「我慢が大切」ということです。
たとえば、あなたがこんなことを言うとします。
「ああ、もういやんなっちゃったよ。望まない部署に異動になってしまって」「悲しいんだ。いやなクラスメイトと一緒になっちゃって」。
よくあると思われる反応はこうです。
「そんなこと言っても仕方ないよ、無駄だよ」
「まあ明るく行こうよ」
「飲みんで忘れようぜ」
私には、こういった表面的な励ましの裏に「我慢せよ」というメッセージが聞こえます。「なぜなら、今、あなたにはその力がないから。あなたは権限の立場にいないから」「どっかの誰かがいつかなんとかしてくれるから」そんな声も聞こえてきます。
でも、ちょっと待ってください。憂いや嘆きはというのは、大切なものが傷ついているから起こる感情です。そして、そこに変えるべき現状があることの証拠でもあります。
私たちが持つ「負のフィードバック構造」
私たちイキモノには「負のフィードバック」と呼ばれる仕組みがあるそうです。私は生物学や医学は門外漢ですが、私なりに勉強してみて、理解したことを絵にするこうです。
負のフィードバックとは、私たちの心身が発する「今のままだと、いのちが危険だ」という、痛みの信号です。
「このままでは死んじゃうよ。」
「だから、変わりたいよ」
もしあなたが寒さを感じたとします。そうすると、「今のままだと、寒くて死んじゃうよー」というのが負のフィードバックです。それを受信するから、あなたは服を着ます。
でも、外気温や体温などが上がってくると、今度は「今のままだと、暑くて死んじゃうよー」と来るわけです。あなたは服を脱ぎます。
こうした調整により、あなたの体は適切な体温を保ちます。
こうして、私たちの体は、止まることなく変化をし続けることで、秩序を保っています。つまり、負のフィードバックは健全な命のために必要なのです。
「我慢」とはなにか
しかし、もし私たちが「我慢」をしたらどうなるでしょうか。我慢とは「負のフィードバックが出ているのに、それを抑え込むこと」です。寒いと感じているのに、服を着ない。死ぬ危険が高まります。
これを心の問題で考えてみると、どうでしょうか。これは私の経験から思うことですが、負のフィードバックを抑え込むのはつらいことです。
そこで、正気を保つために、やむをえず、私は心や感性に、麻酔をかけはじめます。感じていることを感じていないフリをするのです。
そして、最後にはスイッチオフ。ついには負のフィードバックを発する機能すら失ってきます。
そこに残るのは、痛みを感じないロボット。寒いところでも壊れるまで作業ができる、便利な道具です。
社会関係における「嘆き」の意味とは
人体ではなく、組織あるいは社会というスケールで考えてみると、負のフィードバックとはなんでしょうか。
私は、それが憂いや嘆きではないかと考えます。
それは、組織の内側から発せられるサインです。
「このままでは死んじゃうよ。」
「だから、変わりたいよ」
それらは見逃してはならないサインです。
そこには、変えるべき現状があり、
そして、変化を求める意思があることを知らせているのです。
私を蘇生したある少年の嘆き
かつて私はロボットのような人間でした。我慢をして優秀なロボットとして認められるための競争を勝ち抜き、ついには、ロボットをつくる側の者になったのです。教師として、本来カラフルな子供たちを、金太郎飴のように丸め込んで、均質化した規格品に仕上げる仕事をしていました。当時の私は、それが本当に子供たちの未来のためになると思っていたし、逸脱をしようとする子供には、ある種の正義感を持って、しつけをしました。
しかし、ある時に学習障害を持った子供と出会いました。私はその子を厳しくしつけていました。その子がある時、ペンを置き、肩を震わせながらこう言いました。
「先生、なんでぼくはこんなにダメなの」
「でも、ぼくは友達が欲しいし、お母さんに好きって言って欲しい」
心臓が、バクバクと鳴るのが聞こえました。その嘆きは、私がずっと抑え込んできた心のフタに、つんつんと触れてしまったのです。
そこから、問わないことにしてきた多くの疑問が溢れ出してきました。
なぜ友達をつくるために我慢をしなくてはならないのか。
なぜ子どもが親に愛されるために勉強が必要なのか。そもそもそこに条件などあってよいのか。
その子には絵の才能がありました。宇宙まで飛んで火を噴く虫が、英単語帳の中に描かれていました。それを「してはいけないこと」と決めたのは誰か。
なぜ人と比べて偏差値が高いほうが、人間としての価値があるように扱われるのか。
母子は互いに愛し合って、幸せを願っていました。ただ、彼らが持っている「幸せ」の定義が、彼らを苦しめていないか。それはなにか。
いつ誰がそのような幸せを定義し、私たちは知らず知らずのうちにそれを鵜呑みにしてきたのだろうか。
我慢は問題を個人化し、嘆きは問題を組織化する
もし私たちひとりひとりが嘆きや憂いを語ることをやめてしまったら、その変化の意思は、個人の内へ内へと沈下していき、より見えづらくなっていきます。平たくいうと、「なかったことになる」のです。
しかし、皆が嘆きを表明すれば、それは浮上して、つながっていきます。
「悲しいんだ、、。したくない仕事を与えられて」「え、君もそうなの?」「実は俺もそうなんだ。」
もしそこに構造的な問題があるのであれば、それは表面化され、認識されやすくなります。
「どうやら、私やあなたに不足や欠陥があるだけではない。この会社の、まるで魚を木に登らせるような人事制度がおかしいんじゃないか」
嘆くことで、人々は変化を求める個々の意思を次々へとつなぎ、集合的な意思を生み出すことになるのではないでしょうか。
「じゃあ、一緒に変えていきたいね」
ブルースという音楽
このことを知った時に、私の中で思い起こされた音楽文化があります。ブルースです。
ブルース(Blues)は米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽の一種およびその楽式。19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(農作業の際の叫び声)や、ワーク・ソング(労働歌)などから発展したもの。(Wikipediaより)
過酷な労働を強いられた彼らが、怒りや苦悩、不満といった自らの感情を表現する手段として用いた音楽が、ブルースへと発展しました。記録に残されている中で最初期と思われる音楽を聴くとそこには、死別や、絶望、孤独など、恐ろしい内容が歌われていることもあります。
昼間は綿花を摘んで、夜は川沿いの小屋や酒場に集い、日々の出来事や感情(つまり、ストーリー)を、ブルースという器に乗せて、歌います。ブルースを通じて、異なる荘園で働く者たちがつながりました。ネイティブアメリカンや、アイルランド系移民などの様々なマイノリティと合流しながら。
その様子は、漫画「俺と悪魔のブルース(平本アキラ/講談社)」でわかりやすく描かれています。
ブルースは共通言語になります。実際に私は、相手がどの国のどんな言葉を話す方であろうが、ブルース進行を知っていれば、「Eメジャーのブルース」の一言で、飽きるまで即興セッションができます。
(これができるのは、ブルースは、1度、4度、5度の三つのコードを12小節の中で繰り返す。物語を「起起転結」で語るというシンプルな原則を持っているからです。)
ちなみに、ブルースは、芸術様式としての影響力でいえば、現代のポップミュージックの基礎のひとつと言われるほどの影響力を持つことにもなります。(エルビス・プレスリーの音楽の多くは、ブルース曲のカバーでした)。以下は、ブルースの起源を察するのに貴重な映像資料です。
ブルースの社会的機能
ブルースやソウルの名盤と言われるライブ録音は、アフリカ系アメリカ人の歴史や公民権運動の時代なしに語れません。その逆もしかり。
お察しかもしれませんが、私は、ブルース音楽(またその影響下にあるソウルミュージックなど)とは、社会という単位における、負のフィードバックだったのではないかと思うようになりました。
アフリカ系アメリカ人が、なぜブルースを演奏したのか。それは、彼らが、嘆きを音楽と詩、物語にすることによって、変化への意思を組織化しようとしたからではないでしょうか。
つまり、厳しい時代に、人々は嘆くことや憂うことで、つながりや行動を生み出し、社会の健全さを取り戻そうとしたのではないでしょうか。
もちろんある個人にとっては、ブルースを歌うことは単なる「ガス抜き」だったかもしれません。意識されるレベルでは。
しかし、負のフィードバック構造は、私たちイキモノに野性的に備わった力です。私たちは、必要があれば、個々で意識できるレベルを超えて、より潜在的で集合的な意識にリーチしようとするのではないでしょうか。
それが、ある文脈ではブルース音楽として結晶化した。そんな仮説をもっています。
ちなみに、同じような文化と社会構造の関係は、ヒップホップという音楽やカポエイラなどでも語れそうですが、それまたの機会に。
ブルースを取り戻そう
私は、今の社会に息苦しさと行き詰まりを感じています。その中で、私たちは、互いに我慢をしあうことをすすめあって、さらにひとりぼっちに、さらに起こるべき変化を遠ざけていませんか。
もっと積極的に憂いや嘆きを表現してみませんか。聴き合う場をつくりませんか。
もし今は光が見えなくても。
嘆きを互いに聞くことで、私たちは、まだ見ぬ変化への可能性とつながることができます。
大切なことをいいます。
もしすでに希望が見えているなら、それを言葉にしてください。
でも、ひとりぼっちで、光が見えない時、私たちが憂いを語ることができたなら。
代替案や解決策が見えなくても、嘆くことができたなら。
私とあなたの間から、それまでは見えていなかった進むべき道が開かれるのではないでしょうか。
WE ARE LONELY BUT NOT ALONE/私たちは寂しくても、ひとりぼっちじゃない。
私が敬愛するSam Coockeという歌手がいます。彼の歌声からは、明らかに、変化の意思を組織化しようという意図が聞こえます。
彼は公民権運動の活動家と親交がありました。レコード会社に制止されたり、歌詞を変更させられたりしなからも、ブルースやソウルをライブで歌い続けたのでした。
彼の言葉を引用して、このエッセイを閉じたいと思います。
「いったい何が起きているのか、よく観察してみるのさ。想像力をはたらかせて、人々がどのような考え方なのかを察知し、自分の出番を見計らうんだ。そうすれば誰だって人々が共感してくれるものを書くことができると思うね。」
あとがき
私たちは「我慢の仕方」はたくさんの知恵を持っていますが、「嘆き方」って、そんなに知恵がない気がしてきました。例えば「悲しいんだ。傷ついているんだ」は、嘆きに聞こえます。でも、「どーせダメだよ。あいつが全部悪いんだ」。これは、あんまり嘆きに聞こえないのは私だけ…?(嘆きではなく、諦め?)
次回(あるか不明)は、そのことについて考えてみようかしら。
では!
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