生きやすい時代をつくるためには、傷つきやすく生きる勇気が必要
元号は自動的に変わりましたが、新しい時代をつくるためにはひとりひとりの意思とつながりが必要と思って、そのため私が大切にしたいことを書いてみました。
尊厳をただの言葉ではなく、あり方の実践に落とし込むこと、そして、ビジネスなるものについて。
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心の中にあるものを「尊厳」と言うのか、「傷つきやすさ」と言うのかを迷うタイミングが今日もありました。このところ多いのです。
もしかしたら別の言葉で同じものを捉えようとしているのかもしれません。自分の尊厳に敏感になれば、おのずと傷つきやすくなるからです。それを表明するのは勇気が要ります。わがままと責められたり、きれいごとと笑われるかもしれません。
逆に、自分なんてどっちでもいい、代わりが効く存在なんだ、そう思い込めば、自分の尊厳に鈍感になることができます。そうやって傷ついていないフリをすると、当然ですが、人からはあなたが傷ついていないように見えます。すると、周囲の人はどんどん調子に乗って、あなたから奪える尊厳を奪っていきます。いや、奪われているだけではありません。あなたも、自分の尊厳を明け渡しているのです。
私は、個人の尊厳を大切にしたいです。「私は大切である」という感覚。
それをつくるためのあり方の練習として「傷つきやすく生きる」というのは考えられるかなと思っています。
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また、私は、ひとりひとりの尊厳が共存しながら健やかに発展していく状態をつくりたいと考えています。
・どうすれば自分らしくみんなといられるのでしょうか?
これは難題です。なぜなら、私たちはひとりひとり異なった尊厳の感覚を持っているからです。ある人が大切にされていると感じるやり方は、別の人にとっては居心地が悪いことがあります。しかも、それは移ろいゆく感覚です。昨日は居心地が良かったことが、今日は違うことがあるのです。これは、どんな専門家にお願いしても解決することができない複雑な問題です。(そもそも解決はできず、絶え間ない調整をせざるを得ないものです)
・どうすれば異なる正しさを持つ私たちは、一緒に家に帰ることができるでしょうか。
この難題をなんとかするための唯一の方法が対話である、と私は考えています。私たち人間が持つ、共感という素晴らしい力があるからできることだと思います。
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しかし、時に、人々の話し合いや協力によってもたらされる賢さが、単なる金もうけに使われていることがあります。経済効率性のために、分断を生むこと、尊厳を傷つけることがまかりとおってしまうことがあるのです。
そのことを、私はたいへんに思い煩っています。 だから、最近は、私はこういうことも探求できたらいいなあと思っています。
・どうすれば人としての優しさと、ビジネスとしての賢さは両立できるでしょうか。
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こういった探求には、自分の、そして、他者の尊厳に対する意識が必要です。それが、傷つきやすくいたり、痛みを感じたりする勇気だと思うのです。
その勇気は、濃淡はあれど、私たちの中に既にあるものだと私は思っています。あるものをあると認め、表明し、実践する。そんな人たちの努力とつながりによって、世界はより生きやすくなっていくのではないでしょうか。
したがって、逆説的ではありますが、こういう言い方ができるなと思ったのでした。
生きやすい時代をつくるためには、ひとりひとりが傷つきやすく生きる勇気が必要です。
私は、それを持つひとりでありたい。
弱いお腹を抱えながら…。
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あとがき
この記事を書くのにあたってインスピレーションとなったのとは、上記トレーニングの準備にあたり、カナダの実践者であるクリス・コリガンさんを含む仲間たちとしたやりとりでした(2019.4.29)
私のこれまでのよびかけは、キレイごとを「キレイだろお!」というのに留まっていた気がしていました。人間の尊厳と、経済効率性を、二者択一のものと信じて、不毛な議論をすることに多くの時間を使ってきた自覚もあります。経済効率性が、誠実な人間が持つ一つの声だと私は聞き入れることができていなかったのかもしれません。
これからは、きれいごとがキレイであることを励ましつつも、「いかに実務的であるか」「いかに理想と現実をブリッジするか」を実践していければと思いました。
とはいえ、私は「尊厳が守られることを前提に、ビジネスがあること」を望んでいます。その逆「ビジネスとして成立することを前提に、尊厳を守る」では決してありません。
つづく
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