教育の「主語」を問うということ
私たちは、教育というと、つい「子供のために」「子どもが」ということに終始しがちです。でも、今日たくさんのオトナたちから聞こえたのは「私からはじまる」ということでした。
学校と地域がひらかれた関係になること、子供たちが主体的に学べる環境をつくることとは、【私たち大人自分自身が】、学校と地域にひらかれ、主体的に学ぶ主体になることにほかならない。
そう、私たちオトナは、未来をよりよいものにする責任を、子どもたちばかりに任せるべきでない。
私たちが責任を持って、私たちが自由になろう。
私たちが考えなくてはならない事は、新しい学習指導要領の対応ではなく、その前提にある社会の変化なのでしょう。
そこを見据えれば、学校教育だけでなく、ビジネスや社会の様々な仕組みが変化を待っています。これはきわめて重要で緊急なことです。
とはいえ、好奇心と遊び心を忘れずに。
地図なき世界を、道なき道を、自分たちの心のコンパスに従って進んでいく。
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