氷山みたいに話せ Talk like an iceberg
これまで私は「表面的なことを言う」っていう練習をしてこなかったなと思うんです。
多くのものごとって、氷山みたいじゃないですか。一見、些細なものに見えます。でも、その実態は、大きい。水面下に潜らないと、その全体は見えてこない。大切なことはしばしば水面下にあります。それは見えづらく、言葉にしづらいのです。
私にとって、その1から10まで大切なことならば、その全てを伝えたくなります。しかも、できれば一度に全部をわかってほしい(笑)
でも、はじめましての人とは、まずは表面的な付き合いなんですよね。その相手からしたら、その1を聞いてみて、最初の敷居をまたぎたいと思えるかどうかなんです。そうじゃなきゃ、もう2へは進まない。
同じことを伝えるにも異なる言い方ができます。たとえば、私の仕事でいうとこうですかね。
A 全体的な言い方
「成果を生み出す対話の場を観察した結果、拡散、創発、収束というパターンがあることがわかりました」。
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B 表面的な言い方
「オモシロイことをつくるための話し合いは、足し算、かけ算、引き算の順番でやるといーよ」
どっちがやってみたくなりますかね。
Bの言い方は、あんまり練習してきませんでした。誤解を生む恐れがたくさんあるから。そして、私が大切にしている対話の質を陳腐化させる恐れがあるから。
でも、どっちが「試しにやってみたくなる」かといえば、Bな気がしています。というか、やってみたらそれに確信が出てきた。
それゆえに、まずBをしてみようかな、というのが最近の気づきでした。表面的なことからスタートして、それで相手の理解に合わせて、軌道修正しながら、徐々に全体を共に探っていけばいい。
ただ、やはりBばかりをするというのは、専門知識を伝えるものとして無責任に私は感じてしまいます。そういう“大先生”が増えると、その分野はどんどん陳腐化していくから。
AもBも、そしてCできるようになって、使い分けたいものです。
インターネットで知識なこんなにも溢れている時代だから、「知識そのものの量」が多いことはあまり強みになりません。
「知識の届け方の質」がこれから大切になるんでしょうね。それが、これからの時代の学びに関わる仕事の価値を左右するのかもしれません。
・・・
ちなみに、自分が水面下で掴んでることに確信がないと、ベラベラとしゃべりたくなるんですよね。
それは悪いことじゃなくて、「水中を探索してる」んです。ペタペタと氷山とおぼしきものの輪郭を手触りして、確認するみたいに。その感覚を、言葉やイメージにして浮上させていくのも、1つの芸ですよね。それがイノベーションだと思います。
でも、はじめましての人が「試しにやってみよ」と思える言葉にはなりづらいですよね。いやー自戒。
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