そのイベントは若者を消費者にするか、創り手にするか
最近、自分探し、やりたいこと探しみたいなイベントやビジネスが集客力を持っているなあと感じています。つくづく自分にビジネスセンスがないと思うのは、私はそういうイベントをあまり好きじゃないからです。
今、多くの若者が孤独だし、働く意味や生きる意味が見えづらくなっています。そこにきて、そういうイベントはそういう気持ちを利用しようとしている感じがしてしまうのです。いや、実際のところ、集めるほうも、集められる方もイベントを通じて何にも困っていません。むしろwin-winなのかも。支配と依存の関係で(言い過ぎ)。
しかし、誰かがつくったイベントに呼ばれては行っていることを、繰り返していたら「自分でなんかやってみよう」っていう気持ちって萎えてきませんか。私には、多くの自分探し系のイベントって、かえって、人の内発性をそぐものになっているように見えることがあります。イベントが終わったら、面白い企画や画像がSNSに流れてくるのを待っているんです。
もちろん最初は、一方的に話を聞くだけだったり、自分探し・やりたいこと探しもいいのですが、どこかのタイミングで、なんでもいいから自分の頭で考えて、自分で名乗りを上げて、自分の自由と責任で、自分発で発信して、行動を起こすことを経験できるといいなと思います。本当に小さくてもいいから。そして、仲良くするだけじゃなくて、知恵を蓄えるだけじゃなくて、失敗を恐れずにやってみるつながりの経験をできたらいいなと。
こうやって書くのは、若者に対して「凡人のふりすんな」ということでもあります。もうとっくに十分に力があるんだから、大人の顔色なんて伺わずにやって行こうやという。あんたの方が全然センスあるよと。
それと同時に、社会が若者に対してそのようなことをしやすい環境をつくっていくことができていない現状に対しての危機感があります。消費者精神ばかり育って、創り手が増えていかない地域・組織は、ジリ貧になっていくばかりです。若者を消費者にするサービスは、短期的には収益が上がるでしょうが、長期的・持続可能性の視点から見れば、自分の首も絞めています。
もちろん全員が自分発で文化を生み出せる人になれる必要はありません。しかし、土壌さえあれば芽が出たはずの種が芽吹かずに終わる環境があるのは、私は残念だと思っています。
「土なんかなくったって、芽が出る種は芽が出る」という考え方もありますけど、そんなに資力や体力に恵まれたタネばっかじゃないですからねえ。
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