持続可能性を直感するための鍵はどこにある?

「手垢がつきすぎて、中身が見えなくなってしまった言葉」というものがあると思っています。

つながり、地域、希望、共有、愛、民主主義、平和。私たちが表面ばかり触って、その意味や実効性を伴わないことを繰り返した結果、こういった言葉自体が陳腐化し、信頼を失っていくのです。

「持続可能性」もその一つかもしれません。一体それはなにを意味しているのでしょうか。

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これが良いことか悪いことか私はわからないのですが、最近私の仕事で明らかに持続可能性を目的としたワークショップにおいて、持続可能性と言う言葉を使う機会が減っていると考えています。

コミュニティ、ブランディング、地域づくりなどです。こういった言葉も私からするとだいぶ手垢がついているのですが、市場的には一周した感があるのかもしれません。放置されすぎて手垢が自然劣化したというか。そういった言葉で語る方が、対内的にも対外的にも説明がしやすく、予算化や集客がしやすいということのようです。

個人的には、言葉はなんでもよくて、大切なのは意味です。私はビールやワインが好きで、その中にあるある種の匂いを「エステル香」と言うことがありますが、それはエステル香を体感した人にしかわかりません。

それと同じように持続可能性も、それを体感した人にしか、その意味は理解できないのではないかと言うふうに思っています。

すると、課題は「どのように持続可能性という言葉で指すものを、自分なりに体感や直感するか」ということになります。持続可能性とは、どんな感覚で、どんな匂いがして、どんな触り心地なのでしょうか。

今、私が持っているひとつの仮説で、ワークショップの振り返りの時に使う図があります。これはある程度、機能している実感があるものです。

主語はプロジェクト、会社、地域なんでもよいです。それの取組を、氷山のように眺めるのです。水面の上、すなわち、アクションは、どのような成果を残すかと言うことと関わっています。水面の下は関係性です。これは成果をどのように持続させるかと言うことと関わっています。水面の下がしっかりしていなければ、水面の上は流されてしまいます。

それだけではなく、関係性の質は、成果の質に大きく影響します。これは直感的に理解できるかもしれません。

たとえば、地域づくりやブランディングと言う文脈で言えば、大規模資本が投下されて派手なこと、いわゆる打ち上げ花火」を打ったところで、それが意味のある変化を生まない、持続していかない、文化として根付いていかないのは、信頼できる関係性がないからです。

では、関係性とは何か。それは、因数分解していけば、「ひとりを大切にすること」に他ならない、と私はおもっています。

すなわち、持続可能性を直感するための鍵は、そのプロジェクト、会社、地域においてその構成員が「私は、大切な存在だ」と心から思えるかどうかではないでしょうか。

一人一人がそう思える関係性には、竹のようにしなやかな強さがあります。個人として自立していながら(つまり、責任能力と自由意思が尊重されていながらも)、全体の中の一部のとしての私という帰属意識がある時、私たちは大きな自由と創造性を発揮します。

そして、ただ仲良くするだけではなくて、困難な時ほど一緒にいられる柔軟性が育まれていきます。その関係性には信頼性や愛着も湧いてきます。(大きな自己愛を育むという点で、持続可能性とブランディングは接続するのかもしれません)。そして、それは、実際に「続いていくもの」になっていくのではないでしょうか。

逆に「みんながいいと言っているから、あなたもいいと思うべきでしょう」「そんなこと言ってるのはあなただけだよ」という声が聞かれたらどうでしょうか。

「組織の持続可能性のために、ひとりを犠牲にすること」の影響は連鎖して、結果的に、組織の破滅を導くと私は思っています。「ああ、このプロジェクトでは、ああやってひとりを切り捨ていくんだ。そして、それを皆で看過しているんだ」そんな認識が組織の中に広まったら、どうなるでしょうか。

組織vs個人というトレードオフがある時、他責的で、依存的で、創造性のない関係が蔓延し、「私は大切な存在ではない」という「息苦しさ」「生きづらさ」が強化されていくかもしれません。そして「つづていくもの」にはなりづらい。

私が対話型や参加型のアプローチを採用するのは、それらの手法が「ひとりの声を大切にする」ために優れているからです。

先日行った地域ブランディングのワークショップでも、最初はあまり口をきいてくれなかった高校生が最後にこう言ってくれました。

自分が声を上げてよいと言うこと、多様な声が聞こえるこの場の雰囲気」。

これまで言葉にしてこなかったであろうことを、モニョモニョと言ってくれました。そして、それをみんなで聞いている時に場に漂う、たまらなく愛しい感覚を味わいました。

私は「それこそが持続可能性の感覚のひとつだ」と心の中で思いながら聞いていたのでした。

どうやって持続可能性と言う言葉を使わずに、その意味を直感するか?

おしゃれな課題だと思います笑。そして、その課題への解決策をより多く見出したプロジェクト、会社地域が、未来へとその存続の可能性をつないでいくのではないでしょうか。モニョモニョ

そして旅はつづく…。

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ご覧いただきありがとうございます。反町キヲイチロウのブログです。群馬ローカルのママチャリで行ける範囲で、参加型の場づくりを練習しています。

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