すべてのいのちが咲き乱れる やさしい世界になろうと思ったとき


Art of Hosting and Harvesting Conversations and works that matter2018牧之原
(大切なお話とはたらきをホストし
ハーベストするためのアート)


私に見えたもの

すべてのいのちが咲き乱れる

やさしい世界になろうと思ったとき


ひとりひとりがありのまま

内なる声に耳澄ませ 思うがままに 今ここに


ゆたかな大地に身をゆだね

さあと呼びかけ ともに息をするとき ものがたり

名もなき花が狂い咲き  風の吹くまま漂い舞う

 

はじまりには

知らなかったところで出逢おうか


おどろき よろこび 癒しとともに

人生の意味という果実をともに味わい

朽ちるとき朽ち  種を落として土に還る


そのはじまりとおわりの「らせん」

変わり続けることの中にある秩序

そんなあたりまえを取り戻す


今ここにある  暮らしから



多様な人々の参加によって変化をともにつくる関係性、その中で人の主体性を育むアートを皆で学びました。 ホスティングチームとして参加し、6泊7日(前々のり&居残りで…)。
やっと一息ついたので、私が得た果実をフルーツ盛りしていくチャレンジをはじめます。






ちょっと嘆きますけど、私は、なんか、ずっとヤだったんです。

声が聞こえづらいな、息がしづらいなあって。


今の社会の多くの場面で、

私たちの命は、まるでプリザーブドフラワーみたいになってしまっている。

そんな風に私は感じています。そうすると見栄えがよくて、管理しやすいですよね。麻酔薬を打って、防腐処理をして、わざと変化をさせないようにしているからです。

あたり前だろとつっこまれそうですが

命は、死ぬまで常に勝手に変化しつづけます。

命はそもそもが自発的で、主体的に変化するものです。その素質は、新たに身に付けるものではなく、そもそも既に十分に備わっているものです。

命あるものは、声を出して、息をします。


声、

イモムシくんの「そろそろサナギにならねば」アサガオちゃんの「花を閉じたいよう」。変化を望む声。本音。種火。

息、

すーーーー。
はーーーー。
新しいものを入れ、古いものを出すこと。その繰り返しで、命は、赤熱して鼓動する。リズムを刻み始める。

そんな「いのちの自力」を抑え、機械を理想とした世界を目指せば、私たちが幸せになれると思えた時代が過去にはあったかもしれません。しかし、残念ながら、それでは幸せにはなれないどころか、破綻が待っていることがわかってしまいました。

今一度、私たちはその力を「取り戻す」ために、声をあげ、息をする練習をする必要があります。

意識すれば、私たちは、ともに息をすることもできます。これはすごいことです。

それらをあえて意識して練習しなといけないくらいに機械らしくなった私への哀しさもありますが、それに気づいたことは悦ばしいこと!

わけわかんねーけど、たしかに美しいものだ、私たちは。

そう感じられるなら、幸せを電卓に打ってわかろうとするのは、もうやめたらどうかと思って。そんなことするから余計わかんなくなる。

もっと解放して肯定していい

そこに「あるね。」と感じられれば。

そのままをレリゴーしていい。


ありの〜〜♩って歌い踊り出していいんです。

それで、「なんだなんだ」と次の人が来てくれたら、そこから、「あのよかったら一緒に息をしませんか」ってお誘いしよう。
その時、モジモジしてても許してね。

そんな社会が、暮らしの中でこそ息づいていくために、上に書いた詩が機能したら、いいなあと思って、書いてみました。

まだ語られていない物語は何ですか

ご覧いただきありがとうございます。反町キヲイチロウのブログです。群馬ローカルのママチャリで行ける範囲で、参加型の場づくりを練習しています。

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